毎日1偉人 旧約聖書の暴君「ネブカドネザル二世」
こんにちは!Amatoです!
本日で毎日1偉人が2週目に入りました。
本日の毎日1偉人は、
旧約聖書の暴君「ネブカドネザル二世」です。
図:ネブカドネザル二世
引用:Wikipedia
ネブカドネザル二世(紀元前630頃~紀元前562頃)
ネブカドネザル二世は、旧約聖書に登場する主要な悪人の一人で、ユダヤ人をバビロンに強制移住させた人物です。
この強制移住は、「バビロン捕囚」と呼ばれています。
新バビロニア帝国の復興
ネブカドネザル二世は、新バビロニア帝国の建国者ナボポラッサルの長男として生まれました。
当時のバビロニアは、近く位置していた国であるカッシートやアッシリアによって支配されていました。
ネブカドネザル二世の父であるナボポラッサルによって支配から離脱することができ、新しい国として復興することができました。
それ以降、新バビロニア帝国がアッシリアを支配するようになり、近隣の国を攻め始めました。
ネブカドネザル二世は、この父と共に遠征に行ったり、父によって派遣されたりして軍を率いて育てられました。
父ナボポラッサルの死後、ネブカドネザル二世は王位に就き新バビロニア帝国の再建を進めました。
バビロン捕囚
ネブカドネザル二世は近隣の国を次々と攻めました。
その後、彼はユダ王国との戦いに勝利し、当時の王であるエホヤキンを新バビロニア帝国であるバビロンに強制的に連行しました。
その後、エジプトがバビロニアに攻めてきた際、それに乗じてユダ王国も反乱しました。
しかし、ネブカドネザル二世はまたもやユダ王国に勝利し、ユダ王国の神殿などの建物を破壊し、国民のユダヤ人の数千人を首都バビロンに強制移住させました。
それにより、ユダ王国はもはや反乱する力を奪われてしまいました。
この行為のことを「バビロン捕囚」と呼ばれ、彼が「暴君」と呼ばれる所以となりました。
バビロンの空中庭園
ネブカドネザル二世は度重なる遠征で富を増やしました。
その富を使い、さらにはユダ王国から強制移住させた多くの建築家によって「バビロンの空中庭園」と呼ばれる庭園を造りました。
この「バビロンの空中庭園」は古代ギリシア時代の「世界七不思議」の一つとされており、ネブカドネザル二世から妻への贈り物として考えられております。
しかし、地震の被害により今は残っておらず、その姿を確認することはありませんでした。
図:バビロンの空中庭園の想像図。遠景にバベルの塔が見られる。
引用:Wikipedia
この空中庭園は、階段状に何層も庭園があり、人工の灌漑システムが組み込まれていました。
ネブカドネザル二世がこの庭園を造ったのは、妻が故郷の庭園や森を懐かしがっていたためと考えられています。
バビロン捕囚の解放
ネブカドネザル二世によるユダヤ人の支配は長く続きませんでした。
アケメネス朝ペルシアのキュロス二世によってバビロンが攻撃され、ネブカドネザル二世は負けてしまいました。
それにより、キュロス二世はユダヤ人を解放し、ユダ王国への帰還と神殿の再建を促しました。
さらには、戦利品としてバビロンにあった器物を奪い、それを神殿の再建のために使うことにしました。
こうして、約50年のバビロン捕囚が終わりを迎えました。
この解放によりユダヤ人は祖国に帰還することになりました。
この「バビロン捕囚」はユダヤ人にとって大きな意味を持っているそうです。
ユダヤ人たちは、この捕囚を経て民族形成を強めることになったと考えられています。
ネブカドネザル二世の最期
旧約聖書によると、ネブカドネザル二世はその後発狂したとされています。
彼は、社会から追放され、人間としてまともに生きていくことができなくなったのです。
正気を失ったネブカドネザル二世は、紀元前562年ごろバビロンで死去しました。
彼が行ったことは非常に残酷だったのですが、妻のために美しい庭園を造ったことに関しては、尊敬の念を抱こうと思います。
愛のためにそのような大業を成し遂げる姿は見習おうと思います。
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